3rd QUATER

40代。人生後半戦。そろそろ本気で楽しめ。

急転!オストメイトへ①

ようやく、SUPフィッシングの回顧録が終わり、これからリアルタイムのレポートに移行しようとしていたさなか、大病を患っていたことが判明し、人生は想像もしていない方向に進み始めてしまいました。なんと、直腸に悪性の腫瘍が見つかり、K+は人工肛門となったのです。結局入院中にブログを更新できる余裕もなく、またまた回顧録を続けたいと思います。

  

兆候は8月

前回記事にもあるように、8月は毎週のようにSUPフィッシングに出かけ、それなりの釣果をあげて満足しておりました。言うなれば、「こんな生活ばっかりしていたい」と思うくらい楽しい週末を毎週のように過ごしてました・・・。

 

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ただ、8月の始めから違和感はあったのですよ。お尻に・・・。激痛とかじゃなくて「違和感」ね。だからスマホでたびたび「肛門括約筋 違和感」みたいな検索をしていた記憶があります。以前いぼ痔の兆候があったからそれがひどくなったかな、なんて思っていたんですが、日々痛みは増すばかり。

 

「あれ、何これ?」と思いながら、いよいよ痔が悪化したのかと憂いつつも、行きつけの消化器科に見てもらうことを心に決めました。一つ不安があるとすれば、タイミング的にSUPが痔の悪化に拍車をかけているのではないかという疑惑。確かに、ボードの上で座っている時間も結構あるよな、と・・・。

 

ただ、この段階での不安は、今考えればまったくもってかわいらしいものだったなと。

 

8月15日 かかりつけ医初回診療

症状は悪化し、結構な痛みが定期的におそってくるようになり、Webで調べた「突発性肛門痛」ではないか、なんて独自の予想を立てるようになっていました。「突発性肛門痛」はいまだ原因不明とされていて、有名人でも「星野源」が症状に苦しんでいることがカミングアウトされていて、星野源命名「モニカ病」なんていう通称も根付いているようです。Web調べによれば、肛門の激痛に耐える際、吉川晃司がモニカを歌うときのような姿勢になることに由来しているそうです。なるほど。

 

じゃぁ、私もモニカ病なんじゃないかと。ただ、そんな公共の電波で笑い話にできるような軽い感じじゃないんだよな。いかんせん激痛の頻度が違う。1日で何回とか、週何回とかそういうレベルじゃなくて、数十分おきなのさ。やっぱモニカ病じゃないかも・・・。

 

そんなことを思いながらかかりつけ医に向かいました。案の定、痔の影響と診断され、通常より鎮痛作用の大きい軟膏を処方されて終わりました。なんだ、結局痔か・・・。

 

それなら安心。ただこの激痛とは早くおさらばしたいので、毎日妻にけつの穴を見せ、確実に肛門に軟膏を注入してもらうこととなりました。今更恥ずかしいとか言ってられない。

 

しかし、痛みは一向におさまらず、職場でも痛みに顔をしかめる時間が長くなってきました。温めたほうがいいのかもしれないと、真夏に浴槽に浸かったり、医療用のホットパックを購入して試したりと結構必死に対処法を講じてきました。

 

8月31日 我慢の限界

そんな涙ぐましい努力とは裏腹に症状はまるで軽減されることはありませんでした。そう、SUPフィッシングで楽しんでいる反面、お尻の痛みとは激しい攻防を繰り広げていたんです。

 

そしてとうとう訪れた限界。朝会社に出勤したがうまく歩けない。部署の朝礼にも出ずにトイレで落ち着こうとしたが、もはや痛みで自分がどう動いているのかわからない。これは仕事どころではない。そのまま事情を同僚に話して即早退。同僚の一人が駅まで荷物を持って送ってくれました。

 

帰宅後すぐ、かかりつけ医を再度受診しました。やはり痔の状況はそんな激痛におそわれるような深刻さではないということ。ただ一点新たな発見がありました。くだんの痔の一部に潰瘍が見つかったとのこと。医師も判断に迷っていました。「こんなところに潰瘍ができるはずはない」と。そして何より、私がここまで痛がっている原因が特定できない。

 

医師は正直にそう言い、大きな病院で見てもらったほうがいいと紹介状を書いてくれました。この地域の大腸・肛門科の権威を紹介してくれるらしい。ありがたい。

 

でも、まずはこの痛みを一時的でいいから何とかして欲しいのですが・・・。すでに自宅にあったロキソニンを飲んでもまるで効き目がないことが明らかになっていました。こんなタチの悪い痛みに「ただ耐えろ」っていうのは酷ですよ。

 

しかし、処方されたのは前回と同じ鎮痛作用強めの軟膏だけでした。チーン・・・。

 

早速、紹介先の病院に電話を入れて診察の予約を入れる。流石に大きな病院。大腸・肛門科の専用ダイヤルがある。そして取れた予約はその週の土曜日でした。致し方あるまい。相手は権威だからね。

 

激動の9月上旬

9月1日 泣き落とし診察

前日の「出勤→即早退」の事態に配慮し上司がテレワークを許可してくれました。ただ、私の本音は、「もはやテレワークも厳しい」。そんな言い訳している余裕もないくらい痛みに耐えるのが精一杯。

 

だめだ、もう無理だ!

 

昨日予約を取った紹介先の病院に改めて電話を入れる。もちろん肛門科ダイヤル。

 

「痛みが激しくて、予約が取れた土曜日まで我慢できそうもありません。紹介された先生じゃなくていいのですぐに診てもらえませんか」

 

もう泣き落としだ。しばらく保留音が続いたあと、受付の方から「わかりました。今からきてください」の返答。まじでありがたい・・・。職場への連絡はチャットで簡単にすませ、まずは病院へ急ぐことが先決。上司にはあとでしっかり説明しよう。

 

もちろん、診察まで長時間待つことは覚悟して行きました。そして想定内の待ち時間で診察の時間が訪れました。びっくりしたことに、目の前に現れたのは、かかりつけ医に紹介してもらった「権威」の方でした。

 

診察室で視診、触診のほか、超音波での診断も行ってくれました。そしてさらに採血とCT検査も手配してくださり、それらを全てその日のうちに受けられました。CTでは造影剤という薬を点滴しながら検査。「体が熱くなります」と言われましたが、あまり感じず。ただ患部と思われる左下腹部の奥のほうだけ熱さを感じ、やっぱりこの辺に異常があるんだろうなと感じました。

 

いろいろ当日のうちに検査ができましたが、唯一MRIだけが後日。そしてこの日の検査の結果、先生からは、超音波で怪しい腫瘤の影が複数見つかったこと、CTでも同様の結論が導き出されたこと、これらは切除するのがセオリーだと言うことの説明を受けました。ただ、想定とは違う現象が誤った形で映し出されている可能性もあるため、最終的な判断は後日行われるMRIの結果を待ってからとなりました。そして最後に、「腫瘤の場所によっては人工肛門の可能性があるということは伝えておく」と言われました。これが後に現実のことになるなんて、この頃の私はつゆほども思っていないのですが・・・。

 

そしてこの日も痛みに対してはロキソニンの処方しかなし。つまり、痛みは耐えるしかないということです。帰宅後上司には事情を説明して、次回の受診まで仕事にならないので休ませて欲しい旨を伝え、承諾を得ました。

 

9月8日 即日検査入院

1週間後9月8日に再診の予約が入っていました。その前の9月4日にMRI検査だけ行っているので、その結果を踏まえて今後の方針を決めていくというのがこの日の目的です。

 

ただこの頃になるともう、痛みの範囲が広がってました。尾てい骨のあたりを中心に左側の臀部へ激痛が広がり、左大腿部の付け根には痺れのような痛み。前立腺にまで違和感が及んでいました。そのことを医師に伝えると、即日検査入院の打診がありました。MRIで決定的な何かが見つかったというわけではないが痛みの進行が早いことも含め、一度「生体検査」をしっかり行うべきだという判断ですね。

 

当然、私は即日検査入院を受け入れました。そして今日のうちにできることとして、大腸内視鏡検査を、肛門から直腸までの短いバージョンで行うということでした。通常の触診でもその刺激が引き金となり激痛が走るなか、また肛門から機械を入れるのかと思うと憂鬱でしかなかったですよ。そして想像した通り、麻酔なんかはなく、激痛に耐えながら検査を受けることとなりました。

 

医師は内視鏡からの画像をモニターに映しながらいろいろと説明してくれている。私も頷いてはいるものの激痛に耐えるだけでいっぱいいっぱい。ただ・・・。そんな涙目にも明らかに異変と見て取れる映像がモニターに映し出された瞬間、私も表情が変わりました。直腸にこんなものがあるとの説明が・・・。月のクレーターのようなものでした。

 

ひとまず翌日の生体検査においてはここの細胞を中心に採取する方針となったようです。医師からは「心配しなくても大丈夫」と穏やかな表情で話しかけられました。

 

入院手続きの前に妻に連絡して、翌日の生体検査には同行して説明を聞いて欲しい旨伝えました。なんだか夢のような展開ですが、やはり現実でした。病院で用意された館内着に袖を通し見るからに入院患者の自分。入院者の目印となる右手首のリストバンドには紛れもなく私本人のフルネームと生年月日が印字されていました。

 

そしてこのご時世、コロナの関係で入院者は家族とさえも面会が禁止となっています。面会できるのは主治医が許可した特例と、手術当日の立会いなどかなり限定的。衣類等の受け渡しも看護師経由しか許されない。せちがらい世の中ですね。

 

今回私は単なる生体検査。手術というわけではないですが、手術室で半身麻酔を使って行われます。特段問題なければ入院期間は3日で終わると説明を受けたところ。そうなれば面会禁止は自分にはあんまり関係ない。この時はそう思っていました・・・。

 

病室に通されたばかりの夕方。下剤を飲むよう看護師から指示がありました。甘いジュースのような飲み物であっという間に飲み干しました。明日の検査までに腸内をできるだけ空にしておく必要があるようです。

 

ただ夕食は提供されました。お尻が痛くて入院しているのに献立は麻婆豆腐でいいんかい!っていうのは自分の中でツッコミを入れてました。もちろん完食したけど。

 

21時に病棟全体が消灯となるから夜は長い。そして相変わらずお尻は痛い。治療していないんだから当たり前ですが・・・。深夜に下剤が効き始め、真夜中のトイレ通い。どうせ痛みで寝れないから、あまり支障はないんですが・・・。

 

9月9日 生体検査

一応、生体検査とはいえ、手術扱いのようです。午前中に麻酔科の説明面談があり、様々な同意書にサインをした気がします。生体検査への妻の立会いも許されてました。

 

そして午後、生体検査は無事に終わりました。半身麻酔なので一部始終の意識はあり、所要時間はおよそ20分程度だったかな。妻もあまりにあっけなくてびっくりしたと言っていました。術中、医師の会話も一部聞こえていたけど、素人には何のことを言っているのかさっぱりわからない。「今はカルチノイドって言わないんだったな」医師同士がそんな会話をしていました。

 

術後、私は麻酔が切れるまで自分で動くことはできないため、ベッドごと病室へ戻されました。この間妻は医師から説明を受けていたらしい。その後、病室に通された妻とつかの間の面会があったんですが、ほんの一言二言交わしただけで、医師からの説明を共有するには至らず。何より、ずーっと苦しんでいたお尻の痛みが、半身麻酔でゼロになっている貴重な時間。久々の安眠チャンス。すぐに眠りに落ちました。

 

しかし地獄はここから。

 

そう、麻酔はいつか覚める。真夜中、その時は訪れ、いつもの激痛が襲ってきました。いつもなら態勢を変えたり、立ち上がって動いたりしてなんとか紛らすのですが、今は自分一人で勝手に動くなと言われているし、動き方もわからない。「激痛のまま動けない」という史上最悪の状態のまま長い夜を耐えきらなければなりませんでした。安眠の代償、大きすぎるよ。

 

9月10日 暫定退院

やっとの思いで起床時間が訪れました。そして朝一でおしっこの管が抜かれました。看護師からの「ちょっとヒヤッとしますよ」という事前告知だけでは心の準備が不十分でした。「どんな感覚だよ!」と突っ込む間も無く管を引き抜かれ、私は数分間悶絶することとなりました。この瞬間だけはお尻の痛みを忘れてたかもしれない。以後、排尿時に異常な痛みを感じましたが一時的なものだろうと我慢しました。(結果丸一日後に痛みは消えていました)

 

その後、ようやく自分で好きに動いてよいと言われ、鎖から解き放たれた私は元の日常を取り戻しました。残念ながらお尻の痛みもその日常に入ったままですが・・・。

 

すぐ、医師が回診にきてくれました。予定通り本日退院で良いかを質問。前日の生体検査の病理結果が出るには3〜4日時間を要すため、それまではいずれにせよ動きはないとのこと。ただお尻がまだ痛むということを考えると、このまま入院していた方がよいのではないかと入院継続を勧められました。

 

でもね。痛み止めも効かない状況で病室にいることを考えると、自分の精神衛生的にもよくないし、苦痛の声を上げて同部屋の患者さんたちにも迷惑をかけそうじゃない? 迷うことなく私は退院希望を主張しました。主治医はそれで良いと言ってくれました。

 

ちなみに、主治医は検査入院のタイミングで権威の先生から変わっていました。と言っても、あとでわかったことですが、この方も結構なキャリアの持ち主。数々の著名な病院で経験を積んできているっぽい。初診〜治療方針決定までを権威が絡むことで、方向性を誤ることはないんですね。そして方針決定後は別の医師に任す。なるほど。

 

話を戻そう。今後の日程。

 

生体検査の結果を踏まえた治療方針の説明は次週火曜日、9月15日に決定。そして、万一悪性であった場合の手術日程も暫定で押さえてあるという。21日に入院。23日手術。さすがに段取りが早い。ただ、私は手術になる可能性はまだ低いと思っていました。どうせ、良性だろうと・・・。

 

昼食を待たずして退院の手続きが終了。当然、妻のお迎えもなく、自力で電車に乗って帰宅しました。3日間も入院したのに、あくまで検査入院。治療は一切おこなっていないため痛みは入院前から変わっていないというね。その事実がもどかしい。誰か早くこの痛みをなんとかしてくれぃ。

 

帰宅後、上司に連絡をし、引き続き15日までおやすみを延長することを伝えました。